📑 目次
🎭 伝承と事実が混ざる功績リスト
実は、先ほど挙げたグレゴリウスの功績リストは。
音楽関係以外にも、「伝承や後世の付加を含むもの」と、
グレゴリウス自身が実際に関わったと「確認できるもの」が混ざっています。
現代の歴史学的な視点で、
「グレゴリウスが関わっていない可能性が高い」ものを整理するとこうなります↓
〈関わっていない可能性が高い・後世の付加が濃厚なもの〉
- 13番 グレゴリオ聖歌の整備と体系化
→ 後世の伝承の可能性が高い。 - 14番 典礼・聖務日課の統一
→ 彼の意志は反映されているかもしれないが、後世の編集が大きい。 - 37番 音楽文化への貢献(グレゴリオ旋法)
→ 後世の付加が強い。 - 55番 教皇自らが孤児・病人に施しを続けた伝説
→ 彼が福祉に熱心だったこと自体は確か - 51番 「教皇は1人国家である」という概念の先駆け
→ グレゴリウスの行動が流れの先駆けにはなったが、この概念を明確に打ち立てたわけではない。
と。
結構あるんですよね。
これ以外にも、後世の付加や美化の可能性が高いものとか。
微妙なラインのものはちょこちょこあるようです。
💡 なぜそんなことになったのか?
では何故、そんな事になっているのか?ですよ。
答えは簡単。
〝グレゴリウスが凄すぎたから〟
これに尽きます。
彼の生き様は、後の人々の想像を超えるほど強烈な光を放ちました。
その光はグレゴリウスの死後も、様々な人に影響を及ぼしたんです。
🌿 グレゴリウスの慎ましさ
例えばグレゴリウスの功績とされている
「典礼・聖務日課の統一」ですが。
グレゴリウスは華美な装飾や贅沢を好まなかったことで知られています。
彼はそもそも修道士としての生活に深く根ざしていて、
教皇になってからも「慎ましい生活」を理想としていました。
教皇宮殿であっても、できるだけ簡素な生活を送り、贅沢を避けました。
食事も質素で、修道士時代と同じような粗食を心がけたといわれています。
彼はこんな言葉を残しています:
「教会は黄金で輝くべきではない。信仰と善行で輝くべきだ。」
🔎 「グレゴリウスなら…」が生んだ功績
しかし当時の典礼(ミサや洗礼、お葬式とか)は、
金銀宝石で飾られた祭具や聖堂、豪華な衣装、
長大な儀礼のプロセスなどが特徴でした。
聖歌や朗読は、
場面によっては豪華な装飾衣装をまとった聖職者の長い行列、
大量の香の煙、楽器の伴奏などで盛大に行われることもありました。
この「香り・光・音・動き」の演出が信仰心を高める効果はあった一方で、
あまりに形式的・派手になりすぎて批判も生まれていたのです。
なので後世の人が、
- 「グレゴリウスならもっと質素にしたのではないか?」
- 「グレゴリウスなら本質である祈りを大切にしたのではないか?」
- 「グレゴリウスならもっと…」
- 「グレゴリウスなら…」
と。
そうやって整理していったものに、グレゴリウスの名前がついたり。
中には物事をスムーズに動かす為にグレゴリウスの名前を使ったり。
そうやって典礼・聖務日課の統一はグレゴリウスの功績となったのでしょう。
音楽についても、同じ事が起こったと考えられます。
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