🕊️ 大教皇グレゴリウス1世の最期
🔖 目次
📜 グレゴリウス1世の最期
西暦604年3月12日。
グレゴリウスは、約13年教皇の座を勤め上げ。ローマのサン・ピエトロ大聖堂近くの自室で静かに息を引き取りました。
実は、グレゴリウス1世の最期 については、後世の記録が意外なほど少ないんです。
当時は知識層や記録係も限られており、日々の出来事を詳細に残す文化もまだ十分に根付いていませんでした。
さらに、当時のローマ市は疫病や戦乱の影響で荒廃し、細かい記録が失われやすい状況にあったことも理由の一つだと考えられます。
またグレゴリウス自身が生前、
「私のことは忘れてもいい。ただ、神のことを思い出せ」
と語ったとも伝わっています。
あまり自分のことを語らない、そんな人物だったようです。
⚰️ グレゴリウスの信念と墓
彼は生涯を通じて「謙遜(ヒュミリタス)」を重視し、教皇であることを「神のしもべ」と考えており。
死後も贅沢なものを拒み、自分の墓はできる限り目立たないものにするよう指示していたと言われています。
実際、サン・ピエトロ大聖堂の彼の墓は、簡素な石棺に
“神のしもべグレゴリウス”とだけ刻まれた質素なものでした。
そんな彼の葬儀はきっと。静かで深い祈りに満ちたものになったのではないでしょうか。
🕊️ 白い鳩と伝説
一説には、彼の亡骸のそばで白い鳩が飛び立ったと語られています。
この鳩は「聖霊の象徴」とされ、彼の魂が天に召された証しだと信じられています。
私も、そう信じたいと思います。
ローマ市のために生涯を駆け抜け、後世に多大な功績を残した男。
やってないことまで功績にされて。天国で
「…ヤメテヨ…」
とか言ってそう。
🎬 エンディングメッセージ
「大教皇グレゴリウス1世の生涯」。
ここまで長々と読んでくださりありがとうございました。
如何だったでしょうか?
この後、
楽譜に初めて「線」を書いた男「グイード・ダレッツォ」や、
楽譜に「時」を刻んだ男たち「レオニヌス & ペロティヌス」。
音に「形」を与えた男「フランコ・オブ・ケルン」など。
そんな人々を順番に紹介していけたらなーと、軽く思ってます。(本当にかるーく)
今回も軽く思いたって書き始めたのですが。
思いの外グレゴリウスの人生はドラマに満ちており。
ハマってこんなに長く書いてしまいました…。
なんと魅力的な男。
大教皇グレゴリウス1世
✨ ブラボー!✨
チャットGPTと作る音楽のブログ【音楽史のすきま風景】。
良かったらまた是非、立ち寄ってくださると嬉しいです😊
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