📖第15章 西洋音楽と留学生・修二の学び:日本の未来を見た音楽教育の衝撃

🎼 音楽教育の発見

私たちは「ドレミファソラシド」という音階を知っています。

ピアノやバイオリン、トランペットなどの楽器を知っています。

そしてその、西洋音楽の理論や楽器によって作られた、「ちょうちょう」や「カエルの歌」などの曲を知っているし、歌えます。

そして「赤とんぼ」などの誰もが知る日本の曲を、他の国の方から褒められると嬉しく思います。少し、誇らしい気持ちになったりします。

メイソンがアメリカの学校制度に西洋音楽を取り入れた狙いは、おそらくそのような事なのです。

🇺🇸 アメリカの教育事情

当時のアメリカは、政治的に独立してからまだ半世紀ほど。

異民族国家であり、文化面でもバラバラだったアメリカは、国としてのアイデンティティがまだ発展途上でした。

そのため、1つの音楽の体系の元に。
その体系で作られた音楽を国民が理解し、楽しめる下地を作り。

また誰もが共通して歌える曲を通じて、アメリカの子供達の道徳心協調性を養い。さらには愛国心共同体意識を育て。

国としてのまとまりや誇りを生み出そうとしたのです。

修二は黒船来航以来、バラバラになっていく日本を目の当たりに成長し。これから1つになろうとする日本のためにアメリカまで来ました。

その修二にとって、西洋音楽の汎用性の高さとメイソンの教育思想は、とても強い衝撃でした。

他の留学生たちがそれぞれの専門分野へ歩を進める中。
修二は日本にほぼ存在していなかった〝音楽教育〟に日本の未来を見出したのです。

✈️ 帰国の途

そして1879年(明治12年)。
修二たち留学生はそれぞれの学びを胸に、日本へ帰国の途につきます。

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