📖第2章 王権聖化


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カールの家系と祖父マルテル ⚔️

1章でも書きましたが。
カールの生まれたのは宮宰(しんさい)=家臣筆頭の一族でした。

つまり、カールは王族ではなかったのです。

なのに、カールはフランク王国の王になり、そして皇帝、さらには大帝と呼ばれるまでになります。

その原点は、カールの祖父「カール・マルテル」にありました。

トゥール・ポワティエの戦い(732年)

マルテルの時代、ヨーロッパでは歴史を変える大きな戦いがありました。

トゥール・ポワティエの戦い(732年)
イスラーム勢力の北進を阻止するための戦いです。

当時、すでに形骸化していた王の代理として、マルテルはフランク軍を率い、数に勝る敵を打ち破りました。

因みに「マルテル(Martel)」とは呼び名であり、この戦いでの勇猛さからついたあだ名で、
神の金槌”と言う意味です。

めちゃくちゃ強そう。

もしこの戦いにマルテルが負けていれば、ヨーロッパはイスラム化が進み、キリスト教は後退し、世界の様相は大きく変わっていただろうと言われています。

つまり、その後に続くキリスト教を中心としたヨーロッパの文化は、
マルテルが守ったのです。

影の支配者 マルテル

この勝利によってマルテルは、事実上フランク王国の王としての実権を手にしました。
そして形骸化した王に変わり、影の支配者として国を動かしたのです。

しかし、彼が本当の王になることはありませんでした。

何故なら当時、王になるには〝血統〟が重視されており。
マルテルは王族ではなかったからです。

実力と権力を兼ね備えていても、血統が無ければ王ではなかったのです。

マルテルは王になりたかったのか。
それとも強大な権力で国を安定させられればそれで良かったのか。

どちらかは分かりませんが。
マルテルはその強大な権力を、自身の息子ピピンへ託します。

ピピンと教皇ザカリアスの手紙 ✉️

そして父マルテルから強大な権力を受け継ぎ、生まれながらに影の支配者としてフランク王国を牛耳っていたピピンは行動に出ます。

トゥール・ポワティエの戦いを勝利に導いたマルテルの血筋は、
キリスト教を守った者として教皇から絶大な信頼がありました。

ピピンは当時の教皇ザカリアスに手紙を送るのです。

「実際に権力を持たない王をそのまま王と呼ぶのが正しいのか?
それとも、実際に支配している者こそ王と呼ぶべきではないか?」

この質問に、教皇ザカリアスは答えます。

「実際に力を持つ者こそ、王と呼ぶのが正しい。」

この教皇の一言が、ピピンを「神の意思によって認められた新しい王」に変えたのです。
そして751年、ピピンは正式に王冠を戴きます。

神に認められた王 👑

つまりピピンの作戦は
血統が無いなら、神に認めてもらえば良いじゃない
っていうものでした。

神…ってなると、現代の日本を生きる我々にはちょっとわかりにくい感覚かも知れませんが。

例えば何千万の登録者数をもつユーチューバーやインスタグラマーとか。
そんな人が言う事なら「まぁそうなんだろうなー」とか。
「あの人が言うなら間違いない」って思う人が多くいて。

その影響力ってすごいじゃないですか?

当時も
神の代理人で有名な教皇が言うならうーん。まぁ王なのかもね?」

そんな感じでフランク王国は元々の王様を廃位して、ピピンを王様にしたわけです。
(流石に現代で、インスタグラマーが総理大臣は決められませんけどね)

王権聖化という概念の誕生

その後、ヨーロッパでは神様に認められる事こそが王になる条件となって行き、
この事を「王権聖化」と言います。
(学校でやったっけ?)

ピピンがフランク王国の王様になったのは751年のこと。

そんなわけでカールは9歳前後の頃に、〝王子〟となり。
フランク王国の正統な支配者としての道を歩み始めるのです。

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