📖第13章 伊沢修二とメイソン先生の出会い

アメリカ留学の困難🌎

師範教育調査」としてアメリカへ留学してから約1年。
修二たち留学生は、タオルを投げ入れられる直前のボクサーのようになってました🥊

そもそも英語わかんないし
授業なんてちんぷんかんぷん
音楽の授業では指示が理解できずただただ棒立ち

誰ともまともな会話ができず、
「そもそも俺たち、なんでアメリカに来たんだっけ…?」
と、目的すら見えなくなっていく日々。

事実、修二たちは日本政府に
「無理っす…。特に音楽、意味わかんねぇっす…」
と、惨状を書いた手紙を送ってます。

その手紙に流石の政府も
「…音楽は…もぅ、ええよ。。」
と返事を出したほど。

英語教育の限界と苦労📚

現代だって、日本で英語を勉強して英語圏に乗り出しても通用しないなんて事はよくある話ですが。
それでも
「一応は日本で英語習ってたのになんでそこまで?」と思いますよね。

でも当時の英語の勉強の仕方だったら、そりゃそうなるよなって話なんですよ。

当時は聞き取り(リスニング)の授業なんて無かったんです。

当時の教材は【翻訳】と【文法】中心。英語を「読むもの」「書くもの」として捉えていたんです。

英語を聞いたり話したりする訓練や機会は皆無。
英語の読み方は日本語的ローマ字読み。発音記号なんて「なにその斬新なデザイン?」な時代。

頭に文字は入っていても、ネイティブに話されると「…あ?」ってなるのは当然ですよね。

しかも音楽なんて実践だから会話中心だし、その中身は専門用語のオンパレード

もはや呪文にしか聞こえなかったことでしょう。。

音楽は置いといて、取り敢えず読み書きで何とか理解できそうな他の教科を!と、政府も判断したんだと思います。。

救世主メイソン登場🎵

しかし、ここで留学生たちの救世主が現れます。
その名も

ルーサー・ホワイティング・メイソン
(Luther Whiting Mason)

アメリカの音楽教育の第一人者で、〝近代音楽教育の父〟と言われる人です。

メイソンは留学生たちの英語レベル、音楽レベルに合わせて、基礎から丁寧に教えてくれました。
そこから留学生たちの英語力はメキメキ伸びていきます📈。(※グラハム・ベルに出会ったのもおそらくその前後)

この出会いは留学生たちにとって、よほど救いになったのでしょう。

修二が後年、メイソンを語る際には、
「先生(メイソン)は実に忍耐強く、温かく、私たちを励ましてくれた」
と繰り返し言うほどに。

良かった…。本当に良かった…✨

メイソン先生ありがとう!!🎵

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