📖第20章 叫び続けた教師──理想と現実のはざまで

💬 綺麗事と理想

綺麗事を、綺麗事だからと片付けてしまうのは。とても簡単ですね。

そうやって心に折り合いをつけて。目の前の問題に私たちは立ち向かって行きます。

そんな事は理想だとわかっているから、口を注ぐんで。時に自分や誰かの綺麗事を理屈で説き伏せながら前に進んでいくのです。

しかし、そうやって誰も綺麗事を叫ばない世の中になって。
そこで育つ次の世代はどうなるのでしょう?

綺麗事や理想を、共通のイメージとして認識し合えない世界の子供達は。
どこに向かっていくのでしょう?

私たち日本人には、その経験があります。
綺麗事を語る声が抑圧され、小さくなった時。
それはその時代に大きな影を落としました

社会には、歯を食いしばって黙々と物事を実行する人も。
理想を掲げて声を上げる人も。
きっとどちらも必要なのだと思うのです。

修二は叫ぶ事をやめませんでした。

⚔️ 修二と文部省次官

修二と文部省次官が激しくぶつかったこの口論は。
修二が文部省を去る大きな原因となりました

修二は文部省での様々な役職も、東京音楽学校の校長も。
公的なもの全てから身を引いたのです

もはや、行政の中から叫んでも。自分の声は聞こえなくなる一方だと感じたのでしょう。

なので修二は公から民へと立場を変えて叫ぶ事にしたのです。

「まだ叫ぶのかよ!?」
ってね。

💡 熱血大真面目教師・修二

そうゆう人なんですよ。しつこいんです。
一度〝こうだ〟と決めたらどこまでも〜な人なんですよ。

「伊沢修二編」の初めの方にも書きました。

「頼りにはなるけど怒らせるとやべぇ(面倒くせぇ)やつ」なんです。

それが
〝熱血大真面目教師・修二〟
なんです。

どこへ行っても修二は修二。変わる事はありません

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