📖第22章 教科用図書検定規則って何? 明治時代の教育と政府の思惑

📜 教科用図書検定規則の公布

しかし。
1899年(明治32年)。

修二が46歳の頃。
政府から「教科用図書検定規則」が公布されました。

民間出版社が独自に出版した教科書は、政府の検定を通過しなければ学校で使用する事が出来なくなったのです。

「え〜…。そんなん政府のやりたい放題になるやん…」
って思ってしまいそうですが。

📖 現代との比較

実は現代でも、政府の検定を通らなければ教科書としての販売は出来ません。

それは過度に偏った思想教育を避けるためであり。チェックするのは政府だけでなく、出版、学会、教育関係者の目も入りますし。
そのプロセスは透明化されています。

🧐 当時の教育システム

そうじゃないと誰かの一方的な思い込みで「ブリーフ以外は貧弱貧弱ぅぅぅ!」みたいな極端な思想を簡単に作れちゃうのが教育なんですよ。

しかし当時はチェックするのが政府のみだったんです。プロセスも不透明
それは意図してなのか、監視が必要だと言う知識が不足していたからなのか。

両方あったとは思いますが…。

⚠️ 歴史からの学び

当時の日本を取り巻く状況はまだまだ大変だったとは言え。
後の歴史を見ると、やはり教育には複数の監視システム透明性がないと怖いですね。

まぁ後からはいくらでも指摘はできますし。当時のリアルな状況、心境はどうしたって分かりません。

その時代時代での価値観の違いもあるでしょうし。

私たちはただ。歴史に学ぶのみです。

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