📖第5章 幕府の終わり

📚 江戸遊学と成績優秀

修二は江戸遊学中、昌平坂学問所をはじめとする幕府直轄の学問所で学んでいたと考えられています。

修二は遊学生の中でも成績優秀で、寮の規律面などの統率を担う役割を任されていたと伝わります。

もう根っからの「大真面目学級委員長」タイプ

「余計なお世話は、委員長の本質なんだろ?」とか言ってて欲しい。
(※某アニメネタです。知らない人は人一倍風紀にうるさい真面目メガネを想像してもらえるとー!)

修二は〝1867年〟前後まで江戸遊学に励んでいたと考えられています。

⚡ 大政奉還の動揺

この年、世間では大変な事が起きていました。

そう。「大政奉還」です。

大政奉還とは、徳川家が政権を朝廷に返上するという事。

つまり、江戸幕府が終わったんです。

黒船来航以降、幕府は時代の急激な変化に対応しきれず、国内外の圧力の中で政権を手放すことになりました。

それは修二が遊学中に起こったのか、遊学から帰ってから起こったのかは定かではありません。
ただ、研究者の間では遊学中だった可能性が高いと言われています。

どちらにしても、めちゃくちゃ不安だったでしょうね。

だって、修二の家「伊沢家」が属する〝藩〟が属する〝幕府〟が無くなったんですもの。

若干16歳くらいの少年がある日、
「お前の親父の親会社。倒産したらしいで。」
って言われるようなもんですから。
しかもその会社に自分も入るつもりで勉強してたのにーですよ。

流石の大真面目学級委員長・修二も「…ヒョ…?」ってなったんじゃないでしょうか。

🛡️ 藩の存続と修二の安堵

実際は、〝大政奉還〟で江戸幕府が終わったとはいえ、
〝藩〟という制度がなくなる〝廃藩置県〟までは結構間がありました。

つまり高遠藩自体はまだ存続してたので、
急に「お父ちゃん、無職になったってよ」って言う状況にはなりませんでした。

修二も取り敢えずは、「ほっ」と胸を撫で下ろした事でしょう。

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