📖第6章 鼓笛隊

🏠 修二の帰還と登用

数年の遊学を終えて修二は高遠藩へと帰還します。

遊学中、その真面目さ規律正しさを認められ、責任ある立場を任されるまでになりました。

帰還後すぐ、修二は藩校進徳館の教授役(師範)に登用されたと伝えられています。

また〝西洋式軍制〟の鼓手(ドラム奏者)にも抜擢されました。

🥁 西洋式軍制の背景

〝西洋式軍制〟…。
「…なんそれ?」と思われるかもしれません。

黒船が来航した時(まだ大政奉還以前)。欧米の軍事力を目の当たりにした幕府は「ぜぇってぇに敵わねえ…」と思い知るのです。

当時、互いの軍事力は大人と子供くらいに差がありました

なので欧米は日本の軍事力を歯牙にもかけず、
「まぁ脅して不平等な条約結んどけば。わざわざコストかけて叩きのめさなくても言うこと聞くだろ。」
くらいに思われていました。悔しいですよね〜。

そこで幕府は「いやー、欧米さんはほんっとスゴいっすね!勉強させてもらいまーす!(クソがぁ!)」と低姿勢に出て、それまでに接点のあったオランダ式の西洋軍制を、より本格的に導入し始めたのです。

やがてこの洋式軍制の流れは、幕府の影響を受けて各藩にも広がっていきます。

🎷 鼓笛隊の軍事的役割

その中に「鼓笛隊」と言うのがありました。

鼓笛隊って、ただ楽器を演奏して行進する“パレード部隊”みたいなイメージがあるかもしれませんが、実は軍の中ではとても重要な役割を持っていました。

軍隊では、太鼓や笛の合図によって行進の速度を揃えたり、攻撃・退却などの動きを指示していました。

さらに、音楽には兵士の士気を高めるという効果もあり、鼓笛隊はれっきとした「軍の一部門」だったのです。

姿としてイメージし易いのは、スコットランドの軍服を着た人たちが馬鹿でかい音のする笛(バグパイプ)や太鼓を鳴らしながら行進してる様子とか。あんな感じ。

言葉を使わずとも、ひとつの太鼓の音で隊列が揃い、士気が上がり、空気が引き締まる

❤️ 音楽の力と教育への応用

「音楽には、人の心を動かす力がある――」

修二がそう確信したかどうかはわかりませんが、のちに彼が教育の中に音楽を取り入れるようになったのは、ここでの鼓手としての経験があったからかもしれません

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