📖第9章 武士の消えた日

🏙️ 東京での学びと派遣

江戸から明治へ。藩主から知藩事へ

時代が移ろう中、これまでの知識だけでは新しい時代を乗り切れないと痛感した修二は

版籍奉還後。
再び、かつての江戸であり新たな日本の首都、「東京」を目指します

19歳になった修二の東京行きは「東京行って1発当てたるど!」的なものではなく。ちゃんと行くアテがありました

高遠藩から貢進生として選ばれ、現在の東京大学の前身の一つである大学南校へ派遣されたのです。

これは江戸遊学の時と同じく、藩の期待を一身に受けた「藩の代表としての学びの道」でした。

日本の近代化のため。そして何より、藩の未来のために。東京で学んだ知識を持ち帰る事を前提に、藩から優秀な若者が派遣された事業でした。

⚡ 廃藩置県と衝撃

藩命により修二が東京で学び始めて約2年後。1871年(明治4年)。

〝廃藩置県〟でその〝藩〟が無くなります!

「…マジかよ…」ってね。
それきっと、修二も言ったと思いますよ。

江戸遊学中(多分)の大政奉還に続き、またも派遣中での大変革。

しかもね。
この時、修二は工部省や藩の指示に沿った実務系の学問習得のためアメリカへ留学していました。

遠くアメリカの地で、修二がその情報を何の媒体で知ったのかはわかりませんが…

「んんん二度目えええええええ!」

と叫びながら、情報の書かれた紙を床に叩きつけた事でしょう。

しかも今回は、ガチで親父の会社が倒産してます。いや、それどころか。
その業界自体が、跡形もなく消え去ったのです。

👀 元武士たちの変化

藩がなくなったということは、そこで働いていた藩士たちの、代々続いてきた武士という身分がなくなったということです。

ならば、それまで武士として生きて来た人たちは一体何者になったのでしょう?

それは「一市民」です。しかも実質〝無職〟の。

一応、元武士達には士族という新たな身分が与えられ、その身分に応じた公費を、政府から永続的に支払うという約束はされました。

しかし。上級士族ならそれなりにもらえますが、もと下級武士の下級士族達にとっては…。

これからどう生きればいいのか。何をすればいいのか。
そしてこれまでの人生は一体、何だったのか。

突然目の前が真っ暗になる様な出来事だったのです。

知藩事として地方の行政を預かっていた元藩主たちも、廃藩置県の後、数日〜数週間で中央から派遣された政府の腹心たちに、その座を取って代わられます。

いくら各藩が疲弊していたとしても、版籍奉還に続いてこんな事までしたら、普通暴動が起きると思いませんか?

下級士族は勿論ですが、上級士族の中にも、これまでの仕事や使命や誇りを奪われることに我慢ならなかった人だっていたはずです。

でも、暴動は起きませんでした。今回も言うこと聞くしかなかったんです。

廃藩置県の直前。政府は「天皇の護衛兵(親兵)を各藩から選抜して編成する」という名目で、薩摩・長州・土佐などの有力藩に命じて、兵士を東京に“自発的に”出させました。

その名誉ある兵を、己の藩から排出するべく、各班がなけなしの主力を東京に送ってたんです。

政府はそうやって、各藩の軍隊を分断・無力化させた上で、廃藩置県を断行したのです。

暴動を起こそうにも、その手段である武力まで奪われていたのです。藩を失った元武士達は。ただ茫然と、立ち尽くすしかありませんでした。

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